芸術論講座 #002:
身体からの投影

Category: 芸術論講座

#002

身体からの投影

2014.01.30 (thu)
2013_TM_mukai

講師:向井知子
日本大学芸術学部デザイン学科准教授

■講義概要
今日では、パブリックスペースでの映像投影を度々見かけるよ うになりました。近代以降、一般的には映像は時間軸のメディアであると考えることが多いでしょう。しかし、本来映像は、人間の身体と密接 な関わりを持っています。日本語の映像(影像)や英語の投影(プロジェクション)という概念は、人の姿が映し出される、息を吹き込みイ メージが浮き上がるなどといった身振りと深く関係しています。そのような歴史的背景にも触れながら、映像、身体像、空間像の相互関係につ いて探っていきます。
 

■レビュー
今日、建築や公共空間に映像を投影することで、身体的な体験を演出することは普通になってきている。しかし、そもそも投影とは身体像と強い関わりをもっていたのではないか。
ある場所の演出を考える時、想像しているのは、どういう人がその場所に行き交っていくのか。これから起き得るかもしれない場面への予感、知っている誰か、知らない誰かが、その場所でこれから出会う場面の予感について考えるのだそうだ。
『平行する交差展』という展覧会においても、様々な場面に出会いうる、物理的な空間としての劇場という「場」を見直す作業を行っているそうである。
影見(かげみ)が鏡(かがみ)の語源であるように、影は「人の像」という意味を含む。そしてこの漢字は「景」と部首の「さんづくり」で成り立っており、「景」は軍門つまり建造物を、「さんづくり」は光の意味をもつ。そもそも影という漢字が「人の像」という意味をもつことも鑑みると、投影とは、ある建造物の内外に行き交う人々が、光によって映し出される光景ではないのか。[高森奈央子]
 

■講師プロフィール

2013_mukai1991年武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒業、1996年 ケルンメディア芸術大学大学院修了。

美術館勤務をへて現職。

地域の歴史・文化的拠点となる公共空間の映像空間演出、美術館収蔵品のための映像展示に従事。

文化財や芸術資料を有効活用するワークショップ企画や、美術館・文化施設と連携しながら

地域全体を統合的に扱っていくデザインプロジェクトを展開している。
 

芸術論講座 #001:
近代身体とその表象をめぐって

Category: 芸術論講座

#001

近代身体とその表象をめぐって

2014.01.30 (thu)

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講師:相川宏
文芸学/日本大学芸術学部芸術教養課程教授

 

■講座概要

文明開化この方、われわれに自明として慣れ親しまれた身体表象は、ひとつの歴史的起源を持っている。

その起源は、近代の知の展開を開始する画期に位置づけられる。その画期とは、いうまでもなく、コギトの誕生時にほかならない。

デカルトの仮借無き「方法的懐疑」によって、ついに疑い得ぬ知の拠点としてコギト(思惟する事象)が主体として定礎されたとき、

近代身体の数奇な運命がはじまった。それは、まず、外延体として、近代的な主体から疎外され、客体に組み込まれて、

近代医学をはじめとする近代諸科学の対象となった。だが、身体はやがて主体のもとに呼び返されることとなる。

近代国民国家の国民を形成するためには、近代的な主体に帰属した「合理的に機能する身体」が不可欠だったからである。

近代身体は、一方で、客体として表象され、他方では、主体化されて機能に還元された。

しかし、我々は、主客に重層化された身体を自明としながら、同時に生きられる身体を生きている。

この生きられる身体は、客体としての身体とも、機能としての身体とも一致しない。

この非還元的な身体は、それが主客いずれにも還元不可能であるが故に、主客対項の構制をとる近代知において、近代身体の自明性のうちに隠蔽された。

この隠蔽された身体は、いかにして露開されるのか。身体をめぐる芸術的探究は、この課題に向けた試みのうちにある。
 

 

■レビュー

人の身体は、主体と客体に分けられる。客体は、意識から独立して存在している外側のことである。それを認識、対象化、表象することは可能であるが、それ自体が主体と離れて生きることはできない。主体とは、「思うこと」である。その場に起こっていることや物は、幻覚かもしれないがそれを見ていると「思う」ことは、事実であり、それは他人が計れるものではない。つまり、「感じる」ということは、他が疑うことはできないのである。この感覚は、様々な器官を媒介としている。対象物によって感覚は変化するため、一番騙されやすい部分でもある。ならば、外部の触発なしに感じること、感覚器官を介さずに感じることとは何か。それは、『生きている』ことを「感じている」ことということになる。だがそれは、外部ではないため、認識、対象化することはできない。客体は、それ自体が生きることができないため、身体と対置することはできない。ならば、主体をいかにして表出、表現するか。それが、肉体をめぐる身体表現において対置するための方法である。この講座では、近代身体における身体の捉え方、映像を通して見る様々な身体の表現方法を学んだ。[須田有希子]
 

■講師プロフィール

at-thum01pro日本大学大学院芸術学研究科文芸学専攻修士課 程修了。

主な研究領域として<美は思想足りうるか、思想は美足りうるか>を基底的な問いに据えた、

美的理念の思想的解明と思想史上の美的結実の追究。

また文学概念の諸制度を文芸に即しつつ内在的に解析する試みや、

身体と肉体の相克をめぐる言説集蔵体の文芸学的解読など。