アートマネジメント講座 #010:
プロジェクトを解体する(公開トークショー)
#010
プロジェクトを解体する(公開トークショー)
2014.02.23 (sun)|平行する交差展
向井周太郎[武蔵野美術大学名誉教授]
+向井知子[日本大学芸術学部デザイン学科准教授]+熊谷保宏[日本大学芸術学部演劇学科教授]
■レビュー
本年度のプロジェクトの活動は、デザインが中心となって映像、空間演出をプロジェクトの基点としているが、各専門領域の問題に終わらすのではなく、それぞれが個々の専門家として制作してきた中で、もう一度どのようになにを作るかを改めて考え直す機会として進行している。
向井周太郎さんによれば、デザインは、専門のない専門領域であるという。何かに分けられないデザインは、生命、生存、生活など、人間の生の全体と関わっている分野であるためで ある。生を支え、形成していくためのその行為は、人間が制作していく行為とも繋がっている。そのような観点からみると、ひとりの考え方、ひとつのテーマを 設定せずに、このプロジェクトが進行してきたことの意味があるのではないかという。
タイトルである「インターセクション」を解体すると、インターは「~の間に」、セクションは、「分割されたもの」、つまり「断片と断片の間」という意味をもつ。それは専門文化分野と分野の間ともいいかえられる。横断生とは何かといえば、この間に生起するもの、この間に生成されるもの。この間を媒介するのは人間の生成装置としての身体、完成に開かれた新体感のインタラクションである。「間」は、元来「あわひ=出会う」という動詞が語源になった言葉である。様々な素材や分野があつまっているこのプロジェクトは、組織化されてないが、それらが出会い、それらのインタラクションの中にこそ創発の契機が多々生成されている。特にお互いが理解し合うために行ってきた「対話」がそれぞれの「間」を媒介する身体性の共振によってとなってつながり全体へと向い、「共演」という文化としての芸術の根元的な機能を新たな次元で捉え返す契機ともなったといえると述べられた。
この展覧会の会場となったのは、大学の劇場である。普段、当たり前に使用している場所をもう一度観察し直すために選定された発表場所である。その劇場の中で、断片と断片、場 面と空間の出会いが生成される装置として、舞台上にスクリーンを吊り、舞台の前に「ランドスケープエリア」という舞台の高さに合わせた平台を設置された。 この装置を体験した複数の観客からは、作品を見るだけでなく観客自体もどのように見ているのか、「見る」行為をもよく観察できたという声が聞かれたそうだ。
舞台は、ドイツ語で「ビューネ」という。それは、板で作った「足場」を意味し、何かを生み出す、考え方を立ち上げる行為のための足場のことを指すのだそうだ。新しい世界を立ち上がらせる意味としてもこのプロジェクトの考え方や進行は、この劇場の構成と運用(パフォーマンス)にマッチングしていたものなのかもしれないと思った。[須田有希子]
■講演者プロフィール
1932年東京生まれ。インダストリアルデザイナー。早稲田大学商学部卒業後、ドイツ・ウルム造形大学でデザインを専攻。
同大学およびハノーヴァー大学インダストリアル・デザイン研究所のフェローなどを経て、武蔵野美術大学基礎デザイン学科を設立。
新しいタイプの人材の育成とデザイン学の形成に力を注ぐ。
主著:『ふすま – 文化のランドスケープ』『生とデザイン かたちの詩学 I 』『デザインの原像 かたちの詩学II』(共に中公文庫)
『デザイン学 – 思索のコンステレーション』『向井周太郎 世界プロセスとしての身振り』(共に武蔵野美術大学)
『デザインの原点』(日本能率協会)他。
アートマネジメント講座 #009:
プロジェクトを解体する(公開トークショー)
#009
プロジェクトを解体する(公開トークショー)
2014.02.22 (sat)|平行する交差展
保坂健二朗[東京国立近代美術館主任研究員]
+向井知子[日本大学芸術学部デザイン学科准教授]+熊谷保宏[日本大学芸術学部演劇学科教授]
■レビュー
このプロジェクトは、それぞれ異なった専門領域の人々がディスカッションを重ね、そこで生まれた関係性から制作を行い、またそこに至るスタディなどのプロセスを展示として発表する。その発表場所として「劇場」という物理的空間を選定し、何ができるのか、その場所を観察、疑いながら模索している。プロセスの公開は、単なる記録だけでなく、多くの人間が関わり、お互いが理解し合うためのプロセスの可視化として、それを意図した撮影、編集、配信方法のもと行われてきた。美術館の展覧会もこのようなプロセスの公開は、重要であると保坂さんは考えている。展覧会に至るまでの膨大な蓄積したプロセスを想像しながら観覧して欲しいと望む。そして、企画側はそれを感じさせるための道しるべのような工夫が重要であるという。
この展覧会における工夫の一つは、「公開トーク」を組み込み、第三者からの意見を聞き、このプロジェクトを見つめ直す場、考え直す、認識し直す場を設けたことである。私自身、この公開トークは、専門領域の方たちがプロジェクトの内容を広げることにより、観客にとっても新しい発見や新しい見方ができるきっかけにもなるような企画であるように感じた。またプロセスの工夫は、リーフレットにも表れている。中を広げると無数の線で結ばれたダイアグラムが目に飛び込んでくる。
今までの対話の中で生まれてきたダイアログをキーワード化、プレワークショップからワークショップ、スタディを経て空間を構築、その過程の第1段階で行ったショーケースを経て今回の展示、それら4つのプロセスの軸を線として結ぶとプロジェクトが構造的に浮かびあがるのではないかと考え、制作したそうだ。出来事、対話が存在感のある重要な要素になっていることをこのリーフレットから読み取ることができるように思う。
保坂さんは、展覧会の場になった劇場は、通常の展覧会と比較すると観客が観覧する方法が異なっていることを改めて感じた部分であったそうだ。展覧会は、自分の身体を使い、作品を見るためのベストポジションを探しながら回遊する。しかし、劇場は観客席に座るとほとんど動くことがない。そこから見える光景を受け入れ、頭の中で補正している。つまり、「見る」ための振る舞い方が展示空間とは異なっているのである。
そして今回、劇場のもつ物理的空間を眺め直すためにも、「ランドスケープエリア」とよばれる平台を舞台の前に構築された。客席から舞台を見る縦の関係性と舞台を端から端まで身体的に移動して見る横の関係を取り入れたような構造だ。しかし、劇場空間のもつ特有の場所性に慣れてしまった観客に、誘導、回遊させるにはあまりにも強い構造体があった。舞台の持つ強い潜在能力に改めて考えさせられ、一方で今後も工夫のしがいがある物理的構造体なのかもしれないと思う。[須田有希子]
■講演者プロフィール
1976年茨城生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(美学美術史学)修了後、2000年より現職。専門は近現代芸術。
企画した主な展覧会に「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」、「エモーショナル・ドローイング」、
「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」、「Double Vision:Contemporary Art from Japan」(モスクワ近代美術館ほか)、
「フランシス・ベーコン展」など。共著に『キュレーターになりたい!アートを世に出す表現者』(フィルムアート社)、
『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社)など。『すばる』、『朝日新聞』にて連載。
芸術論講座 #002:
身体からの投影
#002
身体からの投影
2014.01.30 (thu)
講師:向井知子
日本大学芸術学部デザイン学科准教授
■講義概要
今日では、パブリックスペースでの映像投影を度々見かけるよ うになりました。近代以降、一般的には映像は時間軸のメディアであると考えることが多いでしょう。しかし、本来映像は、人間の身体と密接 な関わりを持っています。日本語の映像(影像)や英語の投影(プロジェクション)という概念は、人の姿が映し出される、息を吹き込みイ メージが浮き上がるなどといった身振りと深く関係しています。そのような歴史的背景にも触れながら、映像、身体像、空間像の相互関係につ いて探っていきます。
■レビュー
今日、建築や公共空間に映像を投影することで、身体的な体験を演出することは普通になってきている。しかし、そもそも投影とは身体像と強い関わりをもっていたのではないか。
ある場所の演出を考える時、想像しているのは、どういう人がその場所に行き交っていくのか。これから起き得るかもしれない場面への予感、知っている誰か、知らない誰かが、その場所でこれから出会う場面の予感について考えるのだそうだ。
『平行する交差展』という展覧会においても、様々な場面に出会いうる、物理的な空間としての劇場という「場」を見直す作業を行っているそうである。
影見(かげみ)が鏡(かがみ)の語源であるように、影は「人の像」という意味を含む。そしてこの漢字は「景」と部首の「さんづくり」で成り立っており、「景」は軍門つまり建造物を、「さんづくり」は光の意味をもつ。そもそも影という漢字が「人の像」という意味をもつことも鑑みると、投影とは、ある建造物の内外に行き交う人々が、光によって映し出される光景ではないのか。[高森奈央子]
■講師プロフィール
1991年武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒業、1996年 ケルンメディア芸術大学大学院修了。
美術館勤務をへて現職。
地域の歴史・文化的拠点となる公共空間の映像空間演出、美術館収蔵品のための映像展示に従事。
文化財や芸術資料を有効活用するワークショップ企画や、美術館・文化施設と連携しながら
地域全体を統合的に扱っていくデザインプロジェクトを展開している。
芸術論講座 #001:
近代身体とその表象をめぐって
#001
近代身体とその表象をめぐって
2014.01.30 (thu)
講師:相川宏
文芸学/日本大学芸術学部芸術教養課程教授
■講座概要
文明開化この方、われわれに自明として慣れ親しまれた身体表象は、ひとつの歴史的起源を持っている。
その起源は、近代の知の展開を開始する画期に位置づけられる。その画期とは、いうまでもなく、コギトの誕生時にほかならない。
デカルトの仮借無き「方法的懐疑」によって、ついに疑い得ぬ知の拠点としてコギト(思惟する事象)が主体として定礎されたとき、
近代身体の数奇な運命がはじまった。それは、まず、外延体として、近代的な主体から疎外され、客体に組み込まれて、
近代医学をはじめとする近代諸科学の対象となった。だが、身体はやがて主体のもとに呼び返されることとなる。
近代国民国家の国民を形成するためには、近代的な主体に帰属した「合理的に機能する身体」が不可欠だったからである。
近代身体は、一方で、客体として表象され、他方では、主体化されて機能に還元された。
しかし、我々は、主客に重層化された身体を自明としながら、同時に生きられる身体を生きている。
この生きられる身体は、客体としての身体とも、機能としての身体とも一致しない。
この非還元的な身体は、それが主客いずれにも還元不可能であるが故に、主客対項の構制をとる近代知において、近代身体の自明性のうちに隠蔽された。
この隠蔽された身体は、いかにして露開されるのか。身体をめぐる芸術的探究は、この課題に向けた試みのうちにある。
■レビュー
人の身体は、主体と客体に分けられる。客体は、意識から独立して存在している外側のことである。それを認識、対象化、表象することは可能であるが、それ自体が主体と離れて生きることはできない。主体とは、「思うこと」である。その場に起こっていることや物は、幻覚かもしれないがそれを見ていると「思う」ことは、事実であり、それは他人が計れるものではない。つまり、「感じる」ということは、他が疑うことはできないのである。この感覚は、様々な器官を媒介としている。対象物によって感覚は変化するため、一番騙されやすい部分でもある。ならば、外部の触発なしに感じること、感覚器官を介さずに感じることとは何か。それは、『生きている』ことを「感じている」ことということになる。だがそれは、外部ではないため、認識、対象化することはできない。客体は、それ自体が生きることができないため、身体と対置することはできない。ならば、主体をいかにして表出、表現するか。それが、肉体をめぐる身体表現において対置するための方法である。この講座では、近代身体における身体の捉え方、映像を通して見る様々な身体の表現方法を学んだ。[須田有希子]
■講師プロフィール
日本大学大学院芸術学研究科文芸学専攻修士課 程修了。
主な研究領域として<美は思想足りうるか、思想は美足りうるか>を基底的な問いに据えた、
美的理念の思想的解明と思想史上の美的結実の追究。
また文学概念の諸制度を文芸に即しつつ内在的に解析する試みや、
身体と肉体の相克をめぐる言説集蔵体の文芸学的解読など。
アートマネジメント講座 #008:
世界の生成 / 制作プロセスと「身振り」という概念について
#008
世界の生成 / 制作プロセスと「身振り」という概念について
2014.02.13 (thu)
講師:向井周太郎
武蔵野美術大学名誉教授
■講座概要
1|私は「デザインとは専門のない専門である」という見解を繰り返してきました。デザインのそのような特質は、私は一方で、哲学にも似た総合性だと思うのですが、しかし、一般的な哲学と違うのは、デザインとは制作行為であり、しかも生活世界という具体的な「生」の現実世界の形成を対象としていることです。しかも、「生」の意義をあらためて考えるならば、「生」は分割しえない全体であり、総合であり、生成のプロセスであり、星座のような複数的関係性の世界であって、そこには境界はない、という「生命」そのもの(の原理)とデザインが深くつながっているからだと思います。
2|私はデザインという行為を広く「ポイエーシス(生成/制作)」という概念で捉え直しています。しかも、「モルフォポエーシス(かたちの生成/制作)」という独自の概念を与えています。
3|そして、このポイエーシスの源泉ないし原像が「身振り」であると考えています。
4|こうした観点は制作の職能性を溶解し、広く構想力(イマジネーション)や創造力の源泉を喚起してくれます。
■レビュー
「身振り」とは、一般的には身体を動かして、感情・意思を伝えようとする動きや姿勢や行動という「身振り言語」を指しているが、根源的には、ゆり動かすことによって、生命力がめざめ、生き生きとした活力が発現されるという意味があり、自然の生成「いのちの誕生」と、人為の生成「作る」こと「かたちの誕生」の「生のリズム」、「生命リズム」ともいえる。向井周太郎さんは、この身振りという概念を、人間の振る舞いだけでなく、自然や宇宙の生成にまで拡張している。1日の太陽と月との交替や潮の満干、季節のリズムや植物のメタモルフォーゼや生物の擬態などもそうである。
自然の生態的な機能環から脱し、人間固有の文明を形成した私たちの生も、そのような自然のリズム、自然の身振りに抱かれて、はじめて生かされている。たとえば、そのことの劇的な体験は残像現象である。太陽に向かって補色残像が飛び散り、目の内側には、補足残像が流転する。人間の目は、太陽のような刺激の強い光を見ると、これは、自然との関係で、宇宙の中で動的な均衡を保っているためである。
しかも、このことが人間の美意識の生成とつながっている。20世紀の機械大量生産と結びついた職能的なデザインは終焉した。今や、こうした世界生成/生成の根厳正を捉え直し、芸術の文化的な機能を再編していく必要があると述べられていた。[須田有希子]
■講演者プロフィール
1932年東京生まれ。インダストリアルデザイナー。早稲田大学商学部卒業後、ドイツ・ウルム造形大学でデザインを専攻。
同大学およびハノーヴァー大学インダストリアル・デザイン研究所のフェローなどを経て、武蔵野美術大学基礎デザイン学科を設立。
新しいタイプの人材の育成とデザイン学の形成に力を注ぐ。
主著:『ふすま – 文化のランドスケープ』『生とデザイン かたちの詩学 I 』『デザインの原像 かたちの詩学II』(共に中公文庫)
『デザイン学 – 思索のコンステレーション』『向井周太郎 世界プロセスとしての身振り』(共に武蔵野美術大学)
『デザインの原点』(日本能率協会)他。
アートマネジメント講座 #007:
プロジェクトの記述:編集とドキュメンテーション
#007
プロジェクトの記述: 編集とドキュメンテーション
2014.01.08 (wed)
講師:藤崎圭一郎
東京藝術大学美術学部デザイン科准教授
■講座概要
インターネット以前は、アートやデザインの展覧会の記録は紙本のカタログ、情報発信は主に雑誌であり、
専門雑誌が批評もアーカイヴも一手に担ってきた。
しかし現在は電子書籍、SNS、映像投稿サイト、ブログ、書店で流通する紙本、オンデマンド本、フリーペーパーなど、さまざまな媒体が生まれ、
目的や対象や予算などの制約に応じて、発信者がメディアを使い分ける時代となっている。
CD-ROMをメディアとしたマルチメディアソフトが廃れたように、ネットがはたして記録媒体に向いているかは再考すべき問題であり、
ネットが批評を展開させる空間として向いているかも議論すべき問 題である。
本講義では、講演者がジャーナリストまたは編集者として制作してきた紙本、電子書籍などの実例を紹介しながら、
ネット時代の発信・批 評・記録の媒体のあり方を考える。
■レビュー
講座を通して雑誌やCD-ROMの低迷を、社会的な流れの中で発生し得る「消えるメディア」として位置付けし、これらが、情報を構造化してみせるのには適した媒体であったという利点を指摘された。それとともに、インターネット上で起こる、情報を構造体として伝達する手法の崩壊について、これら「消えるメディア」との比較を用いて、直面する課題と可能性が分析されていた。お話をお聞きして考えさせられるのは、現代のインターネットの普及と、雑誌等の紙媒体の衰退などの社会傾向の変化により、ものごとを、メディアを通して伝えることの役割と、そこに付随する身体的、感覚的な比重の変化についてである。紙媒体が、個人の所有物という漠然とした感覚をもたらし、その構造の中に読者を取り込んでいく。それに対して、インターネットは、個人に属すこともなく、パッケージ化しにくい情報の海である。これらの感覚の違いが、情報伝達プロセスの相違としてあきらかに存在している。しかしながら、アーカイヴとしての多様化されたメディアの役割となると、インターネット、紙媒体、更には電子書籍等、複合的な記録の伝達方法によって、互いにそれぞれの長所を生かすことで多角的に情報をコントロールしうる可能性を大きく秘めていると感じた。また、ジャーナリストとしてのご自身のブログのように、加筆更新しつつも、それ自体を特定のテーマに関するアーカイヴとして活用されている様子などは、その場で記録し、読者との情報共有の図れる「生きたアーカイヴ」としての発展性について示唆されていたように思う。[高森奈央子]
■講演者プロフィール
デザインジャーナリスト。編集者。1963年横浜生まれ。1986年上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業。
1990〜92年『デザインの現場』編集長を務める。1993年より独立。雑誌や新聞にデザイン、建築に関する記事を執筆。
2010年より東京藝術大学美術学部デザイン科准教授。著書に広告デザイン会DRAFTの活動をまとめた『デザインするな』。
企画編集を手がけた書籍に、アーティスト、タナカノリユキの作品集 『Pages』(光琳社出版 1996年)、
『本—TAKEO PAPER SHOW2011』(平凡社)。
アートマネジメント講座 #006:
プロダクションマネジメントの組み立て
#006
プロダクションマネジメントの組み立て
2013.12.20 (sat)
講師:ヲザキ浩実
あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)制作統括/チーフプロデューサー
■講座概要
舞台芸術における制作方法の基礎理論と手法を中心に、アイディア(=ひらめい、思いつき)を実現可能な企画へと具現化し、
更に実際の本番を迎え終結させるまでの進行の過程を学ぶ。
■レビュー
パフォーミングアートなどのアートイベントを開催するにあたり、何を考察していくべきか。基本となる部分の話をしていただいた。根本的な軸になる柱としては、予算、時間、場所、人間の4つを整理し、共有することの必要性である。
イベント内容によって場所を決定し、人選する。そこには、全てにおいて予算が関係するが、その前に考えなくてはならないのが、時間の問題である。
リハーサル期間、人員確保、スポンサーや助成金などによる予算決定までの期間。チケットや宣伝材料、その情報に必要なものを洗いだし、まとめていく期間がどの程度なのか。目的において逆算をする。
そして、予算を明確にするには、場所と鑑賞対象を考察する。場所にかかる費用、鑑賞対象を誰に設定するかにより、価格設定が変動し予算が決まってくる。その他、スポンサー、助成金によっても変化する。スポンサーを獲得するには、プロジェクト内容の情報整理と、イメージをし、起用アーティストやプロジェクト内容によって得られる明確な効果や目的の提示が重要である。シンプル、ストレートにプロジェクト内容を伝達することがスポンサー獲得につながる方法であるという。
これら4つの事柄を整理し、まとめることでやっとひとつのプロジェクトを成し遂げることができるのである。
どのプロジェクトにも一貫して重要なことは、どのようにこれらの情報を共有し目的に向かって物事を進めていくかだと講座を通して改めて思う。しかし、その中でも蔑ろにしやすい、アーティストを守るための著作権などの法や税に関する知識をもってプロジェクトをまとめていくことも大変重要なことだと認識させられた。[須田有希子]
■講演者プロフィール
1967年大阪生まれ、東京育ち。日本大学大学院芸術学研究科修士課程修了。
日大心理学研究室副手を経て、派遣奨学生としてUCLA大学院演劇学コースへ留学。
帰国後は幅広いジャンルや製作母体の公演を制作・プロデュース。
現在あうるすぽっと[豊島区立舞台芸術交流センター]制作統括/チーフプロデューサー。
アートマネジメント講座 #005:
クリエイティブプロセスとキュレーション
#005
クリエイティブプロセスとキュレーション
2013.12.16 (mon)
講師:保坂健二朗
東京国立近代美術館主任研究員
■講座概要
「美術館」とは、誤解を恐れずに言えば、日本に独特の機関である。
本レクチャーでは、そうした場において、領域横断的な展覧会や、非物質的な作品を対象とする展覧会をキュレーションすることの意味について考える。
具体的には、講演者が企画した「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」展(2010年)や「フランシス・ベーコン展」(2013年)
を主な事例として取り上げつつ、適宜、国内外の主要展覧会にも言及することで、新しい展覧会を構想しうる視野の獲得を目指す。
また、昨今のアート界では、制作と運営の双方において、「ノーテーション」に対する関心の高まりが見られるが、
それについても、コレクションに携わる立場から触れることにしたい。
■レビュー
ぼ同義とし、それと美術館(art museum/museum of art)は別個の機関としているからである。しかし諸外国では、「museum」という上位概念があって、その下に、博物館や美術館などがある。
その中で保坂さんは、『建築』というジャンルを軸に数多くの展示を手掛けている。物理的な空間をもつ美術館で何ができるのか、どういうものを空間に立ち上げることができるのか、繊細に慎重に考えている。特に、キュレーターとして空間を作り込むに当たって危惧しているのは、キレイに作り過ぎることによって、作品を超えてしまうのではないかということだそうだ。だが、一方で作品を際立たせるためには作り込むことも重要であり、常にお客が全体的な体験、有機的な体験になるよう試行錯誤をしている。
「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」展(2010年)は、建築家の模型と図面を展示するのではなく、若手から大御所までの建築家に、インスタレーションを新たに制作してもらう企画で、その制作行為をもウェブサイト上で開示することで、建築とは何か考えさせる場とした。展示を写真撮影可能にし、来館者自身が撮りたい角度で体勢を変え、普段とは違う見方で無意識に作品と接してしまう機会を自然に作り出していた。
これらの話を聞き、空間に対する繊細な意識と人や時間、予算などの裏の調整役として全てを総合的に演出されていることに大変感心させられた。また、保坂さんが美術館は美術品を展示する空間だという認識を変えるような企画に取り組まれているように、日本における「art=美術」という認識を根底から少しずつでも変えていかなくてはならないし、artとは何か?美術とは何か?と問うよりもartや美術の領域を超えて、カテゴリー化せずに自由にものごとを捉えるようになれば、公的な場所で展示できるスペースも増えるのではないだろうかと思う。[須田有希子]
■講演者プロフィール
1976年茨城生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(美学美術史学)修了後、2000年より現職。専門は近現代芸術。
企画した主な展覧会に「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」、「エモーショナル・ドローイング」、
「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」、「Double Vision:Contemporary Art from Japan」(モスクワ近代美術館ほか)、
「フランシス・ベーコン展」など。共著に『キュレーターになりたい!アートを世に出す表現者』(フィルムアート社)、
『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社)など。『すばる』、『朝日新聞』にて連載。
アートマネジメント講座 #004:
クリエイティブプロセスの配信とアーカイビング
#004
クリエイティブプロセスの配信とアーカイビング
第1回 2013.11.20(wed)/ 第2回 2013.11.23(sat)/ 第3回 2013.01.28(thu)/ 第4回 2013.12.05(thu)
講師:米原晶子
にしすがも創造舎チーフマネージャー
■講座概要
にしすがも創造舎を中心に創作活動の過程を記録・発信する事例を紹介しつつ、
アーカイヴやアウトプットを行う際の目的・手段・効果についても整理する。
その上で、このたびのインターセクション・プロジェクトの趣旨をあらためて理解し、
どのようなターゲットに向けて情報の配信を行うべきか、発信する対象や伝達する項目を整理するとともに、
具体的な広報戦略の組み立て方についても検証していく。
テーマ1:クリエーションの記録と発信
にしすがも創造舎を中心に創作活動の過程を記録・発信する事例を紹介する
アーカイブやアウトプットを行う際の目的・手段・効果についても整理する
テーマ2:Intersectionの記録と発信を考えるディスカッション
受講生が取り組んでいるプロジェクトにおいて、どのような記録や発信が必要か、
またそれらを実現するための課題や実施後の効果を検証する
テーマ3:Intersectionショーイングの広報戦略会議1
他のプロジェクト・企画の広報展開を分析する
2月に開催するショーイングの広報に関して、発信する対象や伝達する項目を整理する
〈企画概要・ビジュアルイメージ・メッセージなど〉
テーマ4:Intersectionショーイングの広報戦略会議2
前回のディスカッションを元に広報戦略の具体的な方法を考察する
動員効果及び対費用効果から、広報業務の優先順位を議論する
■レビュー
にしすがも創造舎は、日本の社会現象の一つである廃校をアートの力でどのように生かしていけるのか、再び人が集うためにはどうすればいいのか。その場所を常に模索している。米原さんは、この場所で実施される様々な企画の目的にあった人材を探すチーフマネージャーとして働いている。またここでは、本来、劇場や美術館、ライブハウスのように機能をもたない教室、体育館、校庭などの空間を使用し、アーティストが作品を送り出すまでのサポートも行っている。
サポート企画のひとつに米原さん自身がアーティストにインタビューを行っているものがある。作品とは無関係な作家自身に関することを聞き、記録、編集、配信をしている。米原さんは、何を配信すべきで何を配信すべきでないのか取捨選択する。この取捨選択の仕方によっては、アーティストが傷つくこともあり、逆にアーティスト自身の活力にも繋がる可能性もある行為である。しかし、この記録をすべて配信しないまでも、アーティスト自身が発言、認識することが重要であり、そこに関わる人間もその私情を知ることで、これからの活動や廃校という、劇場ではできないことを発想し有効活用するきっかけになりえるのである。
アーティストと社会の繋ぎ役を担うアートマネジメントの仕事は、内部の運営だけでなく、外部との関わりの中で活動を決め、企画し、アーティストやその場所の可能性を常に探りながら提供、運営、そして伝達していく仕事であるのだと実感した。[須田有希子]
■講演者プロフィール
明治学院大学文学部芸術学科卒業。学生時代より振付家・ダンサーのマネージメントや、美術館・舞台芸術祭などの現場で活動を行う。
2008年、NPO法人アートネットワーク・ジャパンに入社。海外の舞台公演招聘や文化施設の運営、アウトリーチ企画に携わる。
急な坂スタジオ勤務を経て2011年より、にしすがも創造舎チーフマネージャー。同施設ではアーティストの創造環境をサポートすると共に
文化芸術と地域社会とを結ぶ企画を展開している。
アートマネジメント講座 #003:
プロジェクトの配信 編集と広報
#003
プロジェクトの配信:編集と広報
2013.10.23(Thu)
講師:平昌子
TAIRA MASAKO PRESS OFFICE
■講座概要
「美術専門のPR代行」という仕事を行うに至った、その経緯や経験について、実際に行った広報の具体的な例をもとに
美術という専門ジャンルにおける現在のPRのあり方について解説する。
それらの実例をふまえた上で、これからの広報において、検討されるべき問題点や求められている課題について、
研修生との質疑応答を行う中から、聴衆者それぞれの視点から”有 効なPR方法”についての議論 を深めていく。
■レビュー
パブリックリレーションズ(Public Relations、以下PR)とは、ある団体や組織の目指す目的を外の世界へ円滑に繋げるために信頼を築いていくことである。
平さんの仕事は、広告代理店のように広告費から各媒体(メディア)に営業するのではなく、フリーの情報を魅力的に提案し、掲載してもらえるように活動を行っている。そのために重要なことは、主催者の目的を理解、共有すること。そして、広報方針を共有する。そうすることで、どの媒体に配信するのかを判断し、プレスリリースの資料をいち早く作成することが可能になる。
基本的な資料作りとしては、情報を端的にまとめることはもちろん、タイトルをキャッチーなフレーズにしたり、配信時期にも気を遣ったりする。そして、興味を抱いた媒体には、PR企画を提案する。
顧客がイベントに興味をもち、行動し、それを報告、共有するまでの一連の流れの中で、その経過に至らせるための制作企画を提案するのである。例えば、チラシの予算の中でフリーペーパーを作成したり、トークイベントや著名人のレコメンドコーナーなどの提案を行ったりしたそうだ。
これらの話を聞き、PRを仕事とする方に必要とされることは、企画内容を理解し、どの媒体に情報を配信するのかを選別することはもちろん、その際に伴う企画提案が重要なことであるように感じた。今日では、新聞や雑誌、テレビ、ラジオ以外にもSNSなど情報を得る機会がより身近になってきた。その中でどのように媒体を組み合わせて掲載を促すのか。ひとつの媒体にひとつの情報を配信するだけでなく、いくつかの媒体とコラボレーションをして企画提案することで、より魅力的な内容まで顧客に情報が行き渡るのではないだろうか。それらを企画する発想能力がPRをする方達に必要なところであるように思う。[須田有希子]
■講演者プロフィール
1974年大阪生まれ。設計事務所、建築プロデュース会社、アートギャラリーを経て、自身の経験を生かした分野を中心としたPR
業務を請け負う仕事をめざし、TAIRAMASAKO PRESS OFFICE主宰する。
2008年国際展 「横浜トリエンナーレ」「ベネチアビエンナーレ日本館」、国内のトップギャラリーが集結したアートフェアー
「G-tokyo」に代表される国内各地のアートフェアのPR、フェスティバル/トーキョーなどアートジャンルのPR業務を行う。