9/6 ワークログ 記録者:佐藤成行(研修生)
9月6日 ワークログ 記録者:佐藤成行(研修生)
9月6日 ワークログ
ガラスギャラリーに川上先生が音関係の機材を仮で設営
ワーク中にスピーカーから音がでるようになる。
メモには
ストラクチャー(あるいは拘束)ある方が自由に踊れる
白い点をたくさん配置してみる→面にも線にもなる。踊りとのズレ
音と踊りがあってる→× あいすぎてる?
身体が自由になりたいのに、音が応援歌みたいになってる
ねじれの位置 交差のバリエーション パラレル
とある。
9/5 ワークログ 記録者:宇井彩(研修生)
9月5日 ワークログ 記録者:宇井彩(研修生)
9月5日 じゅんじゅんさん・ミヤさんのワーク
テープを使ったワークはだんだん見えてきた、とのことで、
昨日案を出し合っていた、新しいテーマでのワークでした。
そのテーマとはいくつかの動詞を出して、くじ引き?で決まった動詞を
身体で表現する、というもの。
じゅんじゅんさん、ミヤさんそれぞれ2パターンずつ見せてくださいました。
個人的な感想としては、
動きに間が入る部分から、切れるところで動詞が変わるのだな、という想像はつくものの、実際それが何の動詞なのかというのを当てるのは難しく、自分の想像力の無さを実感しました。
お二人のパフォーマンスを拝見し、
身体の限界への挑戦、というか
人間という生き物の身体的構造を
いかに活用するかへの探究心を感じさせられます。
ちなみに、答え合わせをしていただき、「なるほど」と思うものの、
改めて動画などを見たとき、その答えというフィルターを通して見てしまう。
それがちょっと切なく感じられました。
9/5 ワークログ 記録者:佐藤成行(研修生)
9月5日 ワークログ 記録者:佐藤成行(研修生)
向井先生とじゅんじゅんさんミヤさんとのディスカッションからワーク。
この日は西日が強くて影がくっきり出てた。
30分弱のディスカッションと選んだ5つのワードを元にしたパフォーマンスと選んだワードの答え合わせ。
===メモより====
見えないものの記述
→釜石さんの多重に重ねた映像の話の流れで。生身と録画の合成の話
動詞
→プロセスがおもしろいのでは→どうするか(じゅんじゅんさん)
→動詞は考える材料(ノーテーションと同じ)(向井先生)
目かくし、耳かくし
→動機あるいはルール的なものが必要(ミヤ)
じゅんじゅんさんのが動きのエリアがもっと大きいイメージ(ミヤさん、向井先生)
→意外と近い位置にいた(釜石さんの映像を見て)
言葉(ワード)→プロセス→身体(立体)
↓
可視化できないか(ミヤさん)
空間との関係ができていないと(向井先生)
釜石さんの映像→時間の混在
====メモ以上====
9/4 ワークログ 記録者:宇井彩(研修生)
9月4日 ワークログ 記録者:宇井彩(研修生)
9月4日 じゅんじゅんさん、ミヤさんのワークです。
身体にテープを貼ったパフォーマンスについてはビジョンが見えてきたので、
別の作品を作るため、曲線をイメージしたオブジェの画像を参考にしたり、
どのように身体を使うかというアイデアの出し合いをされていました。
「今回のテーマ『Performative Architecture』というものを
やはり未だにしっかりと理解しているわけでも、
何かがっちりつかめたわけでもない。
しかし、この課題をいかに探っていくかがポイントだと思う」
「人間で建築の内部を可視化する、生活動線を表現するのは面白いと思う。建物がスケルトンになったように。」
「しかし生活動線のパフォーマンスが、ただの説明になってしまうと意味がない。その生活動線から描いたパフォーマンスのその先にどういったものが見え、表現されるのかというところに持っていきたい。」
話し合いの中で、ジャック・タチのお話が出てきましたので、
そのリンクも貼っておきます。
8/24 ワークログ 記録者:佐藤成行(研修生)
8月24日 ワークログ 記録者:佐藤成行(研修生)
8月24日
じゅんじゅんさんとミヤさんがガラスギャラリーで作業。
空間の線との関係を探っていた?
床にまっすぐな線を引き、その延長に体に引いた線を持ってくるなど。
あとその延長でミヤさんの手の先の線から、空中挟んでじゅんじゅんさんの手の先の線に接続させたりとか。
(作業があって途中までしか見られず)
メモには
柱の影との関係
8/24 15:00 日の入り方 調査
とある。
影がどう出るかは全体で把握しないと行けない事項のように感じてます。なるべく早く調べてみようと思います。
8/23 ワークログ 記録者:佐藤成行(研修生)
8月23日 ワークログ 記録者:佐藤成行(研修生)
研修生の宇井さん、西村さんと顔合わせてMTG。今やらなければならない作業を分担する。
MTG後、20時にガラスギャラリーでじゅんじゅんさんとミヤさんのWSを観る。
体に赤いラインを引いて、それぞれのソロとデュオを見た。
メモには
ミヤ「空間の中の線が存在するのか、探す、試す」
数学用語のintersection(熊谷先生が寺内さんのWSのために探している(見つけた)散文?のひとつ)
ミヤ「(線が生まれていく点)が見えてきた」
体にひいた線より、体が浮いてくる。照明・影。昼間はノイズに紛れる。
デュオ〜〜点→線 というより 面→量質
とある。
外は日が落ちて暗くなり、ガラスギャラリー内も灯りがついているため昼間と違う環境だった。
じゅんじゅんさんいわく、昼間と違うのは、外が見えないことにより体が外の景色に紛れないということ。光によって身体の輪郭がはっきり出ること。それによって赤いラインより体が存在感を増した。
数学用語のintersectionとは積集合のことなんですね。なるほど。
8/22 ワークログ 記録者:佐藤成行(研修生)
8月22日 ワークログ 記録者:佐藤成行(研修生)
8月22日
研修2日目
昨日同様、じゅんじゅんさんとミヤさんのWS。昼に集まった際に一度やり、一度二人きりで第二演技実習室でいろいろ試行錯誤してもらってから夕方もう一度WS。
踊りは向井先生のカメラの連写機能で動きの流れを記録した。画質を良く設定し過ぎてえらい大きな容量を食った。それを9枚ずつサムネールにしA3に印刷(全部印刷し終わらず)
黒田さん、演技実習室とガラスギャラリーの環境の違いが本企画においてダンサーに与える影響について指摘。
寺内さんのWSはなし。
メモには
空間(ギャラリー)とダンサーがどう交差するか
映像の交差(ギャラリーの外と内の交差、学内の交差)
→入れ子構造
とある。
デザイン卒業生の斉藤さんがギャラリーでWSが行われていない間、ノーテーションを元に踊っていた。面白かったので記録。極端に言えばこういうことなのだろうかなのかなぁ。
じゅんじゅんさん、ミヤさん、また寺内さんや山元さんともスケジュールの確認をする。
山元さんと釜石さんにより、モニター4台を施工。またプロモーション映像を流す作業までできた。ガラスのギャラリーの外側から見ることができる。(問題として4つが違う映像なので同機が困難⇒mac miniにプログラムを入れて対応するとのこと)またある程度日が落ちないとガラスが反射し見えにくいらしい。
帰りに山元さん、私、黒田さん、デザイン卒業生の斉藤さん、釜石さん、向井先生で食事。
向井先生、釜石さんの撮影や編集などの映像制作作業にとても信頼をおいている。
混雑する交差点、を向井先生は「そこを通る人」と見、熊谷先生は「場」と見ている。
8/21 ワークログ 記録者:佐藤成行(研修生)
8/21 ワークログ 記録者:佐藤成行(研修生)
intersection参加初日である。
床に養生した上にビニールテープ(ノーテーション)を貼って、じゅんじゅんさんとミヤさんのWS。
前回(僕は知らない)のテープを記録して、同じように貼ったようだ。振りももしかして前回から固めているのだろうか?
その後体に赤いビニールテープを貼ってのWS。熊谷師いわくいつまでも観てられるとのこと。しかし空間とマッチしないらしい。
メモには
体で線の延長
面と体のノーテーション
線に体が規定されるか
→踊らせる 演じさせる をもっと極端にやったら
⇓
向井先生に線を描いてもらう
線と体の関係が違う
体に引いた線も線の延長=体の延長?
とある。
寺内さんはWSなし。音楽の方々が来て音を聞かせてくれた。ガラスの音。
本番はあちこちのスピーカーからサラウンドで音が出るが今回はステレオ。
WS後、あうるすぽっとでMTG。SNSの件など打合せ。intersection=人の交差点 のようなコンセプトの断片について簡単に話を聞く。
8/12 ワークログ 記録者:黒田千穂(研修生)
8月12日WSログ 記録者:黒田千穂(研修生)
12日のWSのログを挙げます。
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ーじゅんじゅんさん・ミヤさんWSmenuー
体にテープを貼って、パフォーマンスを行う。
それを学生の釜石さんが撮影。
お二人とも自信満々でした。
釜石さんも良い映像ができそう、と、喜んでいました
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【研修生メモ】
お二人が線を意識して踊っていると、知らぬ間に腰をクネクネと動かしていて、滑稽さや
生々しさが明らかになっていました。
ミヤさんの、少し気持ち悪さを感じるという感想、とても共感しました。
ワーク終了後に、ミヤさんとお話させて頂き、カール・ブロスフェルトとジャック・タチ
の名前が挙がりました。
どちらも構造について明らかにするものでしたが、
俯瞰とクローズアップの差異がありました。
向井先生は「構造」と「質感」を分けて考えていらしゃって(本来ならば分けて考えるものかもしれません、わたしは雑多にしておりました)、私はようやく先生が参照してくださるイメージから
構造を見出すことが少しだけできるようになり、「それって、例えばこういうことでしょうか?」と少しは言えるレベルに達しましたが、
構造(ベクトルの?)についての、面白いものをこれまでの目にした物からレファレンスできる域には達しておりません。(似てる、の・ようなものをギリギリ挙げられるくらいです)
この日、じゅんじゅんさん・ミヤさんのお二人のなさったワークの類似するもの(?)は
安直ですが思い当たったものがあるので写真を挙げておきます。
添付写真「ホリー・モーターズ」「トロン・レガシー」「ジャック・タチ プレイタイム」「カール・ブロスフェルト」「CCWOO」
◆リファレンスの進み具合
沢山あるイメージをリファレンスすることも今回のプロジェクトの目的です。
向井先生が図録につけた沢山の付箋をデータベース化しています。
今後、みなさんがディスカッションした際に挙がったものも、リファレンスしていく予定です。
◆個人的にふかめたいこと
テキストでも構造を見出す事が可能か、前回のログでも書いたのですが、
テキストでもノーテーションをとることができるのではないか、と私の脳の一部分がひらめいている状況で、
それが熊谷先生が前回のWSでなさったサドのテキストの使い方と類似するのかを探りたいです。
ようやく「構造」がつかめつつある中、向井先生は「質感」についても集めなければならない
とおっしゃっていました。また向井先生に参照して頂いたものを咀嚼するのに時間がかかるかもしれません。
「質感」についての面白い金氏徹平さんの作品を、皆様ご存知のこととは思いますが、
僭越ながら、最後に一つ挙げさせて頂きます。
8/11 ワークログ 記録者:黒田千穂(研修生)
8/11 ワークログ 記録者:黒田千穂(研修生)
8/11 「混雑する交差点」の発見。
■本日の流れ
13時から17時まで、じゅんじゅんさん・ミヤさんWS
まずインプロで動き、お互いのノーテーションを書いて、今度はそれにそって動く。
動きをノーテーションに変えることが可能かどうかの実験、とのこと。
★新たなノーテーションの提案
床にかくだけでなく、壁、もしくは、体にテープを貼って、
動いているその瞬間にノーテーションを見えるようにする。
(8/11,8/12実施予定)
★今後の課題
空間の構造を発見する。
9月に使用する目玉ギャラリーの空間の構造を認識していく。
(向井先生が田中先生に100枚[!]の写真撮影を打診されたとのこと)
★「混雑した交差点」の記述を発見
レナート・ロサルド「文化と真実」より、『intersection』の元である「混雑した交差点」
の記述を発見。以下、引用。
“深遠な文化的活動を、それだけで完結した領域とみる考え方を小宇宙的視点、もうひとつの
儀式観を混雑した交差点と呼ぶことにしよう。後者の場合、儀式は多くの異なった社会過程が交差する場としてあらわれる。交差点は異なった道を完全に凝縮したかたちで封じ込めているのではなく、それらが交差するための空間を提供しているだけにすぎない。”
この後、ある民族の首狩りという一つの事例について、三つの過程が合流する場と言っている。
★referenceの作成
ロサルドの「文化と真実」を、「0001」として登録。
寺内さんよりお預かりした資料をスキャニング。
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このノーテーションを書き・動く試みは、一定のまとまった動きや一つのポーズが、
何を意味し表しているかに落とし込もうとする見方を、否定する。
しかし、それと共に、ノーテーション通りに身体が動かされることを観る人に期待させてしまう。
(ノーテーションは、こう動くだろうな、と予想させるが、その予想は皆、どれくらい同じか。
どれくらい違うのか。)
今日のノーテーションをとる試みを拝見し、似たようなことをしたことを思い出した。
わたしは去年まで大学で、内容と形式の問題を目下の関心事として、日本の現代文学の研究をしていた。
物語内容を捉え、作者のバックグラウンドに寄せて論じるのではなく、
そこに何が書かれているのか、言葉を詳細に見ていくことをしていた。
谷崎潤一郎「吉野葛」は、紀行文のような体裁をとっており、写真も多数載っている。
写真はテキストと対応してスポットの説明をしているのだが、一つだけ写真と写真が
対応していて、そこから主人公が空間を移動していることが読み取れる箇所がある。
ここで私ははっきりと、矢印を書き込んでいた。
類似した全く別の事なのかもしれないが、ふと思ったので、ここに記した。
●一つの提案
あるひとつのノーテーションをもとに、複数の人がパフォーマンスを行うことによって起きる、
同じこと・違うことの観察をしてみると、8/2のじゅんじゅんさん・ミヤさんのワーク時に向井先生のおっしゃっていた、別の物から同じ物を想起する感覚(私の記憶で言葉を換えてしまっているので、後ほどログを聴いて確認致します)を、逆説的に探れるのではないか。